·第33届(1983) - 金熊奖 yaju-deka (1982)
工藤荣一,北海道庁立苫小牧中等学校(现在は道立苫小牧东高等学校)から庆应义塾大学予科を経て1952年、同大学法学部を卒业。同年4月、东映に入社。最初は本社の企画部を経て、1954年、京都撮影所に转属、同撮影所制作部助监督となる。1959年9月、『富岳秘帖』で监督に升进。以后、时代剧黄金时代の东映で、数多くのチャンバラ活剧を手がけた。60年代中期、チャンバラもののブームが过ぎた后は、集団抗争剧へ移行し、『十三人の刺客』(1963年)、『大杀阵』(1964年)を生み出す。特に『十三人の刺客』では、第11回京都市民映画祭で监督赏を受赏している。60年代后半から东映の新たな主流路线となった任侠ものでも、『日本暗黒史・血の抗争』(1967年)、『日本暗黒史・情无用』(1968年)のやくざ映画を手がけたが、本人はやくざ映画はあまり好みでなかったらしく、『仁义なき戦い』シリーズの大ヒットで流行した実录系のやくざ映画には殆んど参加しなかった。この时期と前后して、70年代には舞台をテレビ映画に移す(おりしも60年代からの邦画の斜阳化で、多くの监督がテレビ映画に进出していた)。特に朝日放送(ABCテレビ)制作の人気时代剧「必杀」シリーズでは、2作目の『必杀仕置人』から演出に参加。一时期を除き、60本以上を演出。剧场映画『必杀!III里か表か』でもメガホンを取る。また日本テレビ系の伝说的ドラマ『伤だらけの天使』でも最多の6本を手挂けた。80年代から再び映画に复帰、『その后の仁义なき戦い』(1979年)、『影の军団・服部半蔵』(1980年)、『ヨコハマBJブルース』(1981年)、『野獣刑事(デカ)』(1982年)、『リング・リング・リング/涙のチャンピオンベルト』(1993年)などを监督した。2000年9月23日、脳干出血のため死去。享年71。1955年11月结婚、一男一女あり。
中文名 | 工藤荣一 |
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出生地 | 日本,北海道 |
出生日期 | 1929-07-17 |
奖项列表 | 柏林国际电影节 |
年龄 | 70 |
性别 | 男 |
提名数 | 1 |
提名数列表 | 0 |
星座 | 巨蟹 |
演员作品 | 鱼影之群 |
编剧作品 | 哭泣吧 |
英文名 | eiichi kudo |
获奖数 | 0 |
获奖数列表 | 提名:1 |
逝世日期 | 2000-09-23 |
·第33届(1983) - 金熊奖 yaju-deka (1982)