b'z

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简介

小档案 乐队名 B'z 经纪公司 VERMILLION RECORDS(2002年 -) 事务所 VERMILLION 成员档案 姓 名 松本孝弘(まつもと たかひろ TAK Matsumoto) 出生地 大阪府丰中市 出生日期 1961年3月27日 身 高 165cm 担 当 吉他、作词、作曲 身为B'z领导者的松本,总是能条理清晰地诉说着音乐理念及毫不紊乱地进行工作,也曾率直地表示他对吉他之外的乐器一概亳无兴趣,但就因为是这么热爱吉他且弹得一手出神入化的技巧,让拥有百年历史以上且闻名于世界的美国吉他制造厂商「Gibson」跨海邀请松本担任署名为「TAK MatsumotoLes Paul」吉他的代言人,此举不但打破了Gibson不曾找东方人来代言的传统,更是万分肯定了松本在吉他上的成就。即使已是功成名就,但在采访时仍说希望能一直演奏下去,因为观众的笑脸让他意识到B'z是有着这种使命的。 中文名 稻叶浩志 日文名 稲叶浩志(いなば こうし KOSHI Inaba) 出生地 冈山县津山市 出生日期 1964年9月23日 身 高 173cm 毕业学院 横滨国立大学教育学部数学科 担 当 主唱、作词、作曲 拥有数学教师资格的稻叶,直至高三那年才开始他的主唱生涯 ;稻叶除了担任B'z主唱及全部乐曲之作词外同时也参与编曲,而他的个人作品也是全部一手包办;他也曾提供词曲作品给其它歌手,如1999年末杰尼斯事务所的偶像团体「J-FRIENDS」的第三张单曲《Next 100 Years》。作为B'z的主唱,松本评价说稻叶的自制力是无与伦比的,无论是嗓子保护还是身体训练体能的维持他都能做到极致。因为天性不爱说话,总是在别人看不见的时候竭尽全力,在演唱会上总是魅力四射让最后一排的观众也能尽兴而归。 乐队简介 B'z乐队是由吉他手松本孝弘、主唱稻叶浩志于1988年组成的二人男子摇滚乐队,也是亚洲唯一一支进入Hollywood Rock Walk的殿堂级摇滚乐队。 一个热衷吉他的店员,一个即将成为老师的高材生,为了一个共同的梦想走到了一起。只有两个人乐队,作品全由自己一手创作包装,正是他们的这种坚持、恒心以及超过别人好几倍的努力使得他们在经历二十几年后仍然屹立日本乐坛不倒,其超过8000万的销量也是无人能及。 プロファイル バンド名 B'z レーベル VERMILLION RECORDS(2002年 -) 事务所 VERMILLION 来歴 结成前 - デビュー 1987年、音楽制作会社ビーイングに所属し、浜田麻里やTM NETWORKなどのツアーサポートやスタジオミュージシャンとして活动していたギタリストの松本が、「自らの音楽を表现できるバンドを创る」という构想のもと、バンド结成へ向けた活动を开始。その间、あるボーカリストとバンドを组むことを音楽雑志で公表したが、そのボーカリストとデビューすることはなかった。 1988年5月、ボーカリストを探していた松本は、ビーイングの社长で音楽プロデューサーでもあった长户大幸から1本のデモテープを渡される。そのデモテープは当时Being音楽振兴会(后のBeing Music School)に所属していた稲叶が、T-ボーンウォーカーの「T-BORN SHUFFLE」、レッドツェッペリンの「YOU SHOOK ME」、ビリージョエルの「Honesty」を歌ったものが录音されていた。长户はB'z结成の2、3年前から「稲叶を何とかしたい、早くデビューさせたい」と事あるごとに言い続けていたという。こうして长户を介して、2人は会う约束を交わす。しかし、この时点で松本は、「デモも闻いたし、写真も见たし、(稲叶と会う前から)自分は心が决まっていた」「后は『いい人』であってくれと愿っていた」と语っている。 翌日、「SOUND JOKER」という小さなスタジオで初颜合わせした2人は軽く会话を交わした后、ビートルズの「Let It Be」、「Oh! Darling」の2曲をセッションする。しかし、机材の故障により结局その日は2曲しかセッションが出来ず、その场はお开きとなった。后日再び会った时には、何故か既にデビューへ向けての活动が始まっていたという。その后2人はユニットB'zを结成、1988年9月21日にシングル「だからその手を离して」、アルバム『B'z』の同时リリースでデビューした。 2人が初めて出会ってB'z结成楽曲制作デビューに至るまでは、约4ヶ月という短い期间であった。B'z结成时はお互い(特に稲叶)の合意が形成されないままデビューへの话が进んだらしく、稲叶は结成当时について「振り返ってみれば、これまで松本さんから『一绪にバンドをやろう!』とはっきり口にして言われたことは一度もない」とインタビューやライブMCで语っている。ただし1993年に敢行されたライブツアー『LIVE-GYM '93 "RUN"』でのMCでこのエピソードが语られたときは、「そういえば言っていないな」ということで、稲叶が冗谈めかしながら「一绪にやろう!」と言ったこともある。 结成当时の音楽业界では、「新人はアルバムを3枚リリースするまでにヒット作品を作れなければ见切りをつけられる」という风习があった。そのため、松本はデビュー时から明确なビジョンを持って制作に当たっており、稲叶と初対面した际に「3年以内に(当时一番売れていた音楽雑志である)『Gb』の表纸を饰る」「3年以内に『オリコン』の(1位 - 50位までが掲载されている)左ページに载る」といった「三ヵ年计画」を力说していたという。 初期のB'zのプロデューサーは中岛正雄である。B'zがブレイクした后も中岛はスーパーバイザーという肩书きで指挥していた。 デビュー后 - ブレイク デビュー当时はTM NETWORKのツアーで访れる各地でキャンペーンを行うなど、地道な活动を続けていた。キャンペーンについては、ヤマハの楽器店等で「松本によるギターセミナー」と称して开催されたものの、来场者は若い女性が多く、実际はセミナーを早めに切り上げて后半をB'zのお披露目コンサートの时间に当てる、といったものだった。メンバーは「(多くのファンと)握手しすぎて手から指纹が消えた」「(お辞仪のしすぎで)一日が终わると体が"くの字"から戻らない」などと语ったことがあり、キャンペーンや挨拶回りはかなりのハードスケジュールだった。 しかしながら、デビューしてしばらくは苦戦が続いた。デビューシングルの「だからその手を离して」はオリコン集计でもカウントされない程度しか売れず、またデビューアルバム『B'z』は発売当初はオリコンチャート初登场48位で、100位以内には4周ランクインしたのみであった。続く2ndアルバム『OFF THE LOCK』も、発売当时は初登场35位で100位以内には4周ランクインしたのみであった。 その后1989年にリリースしたミニアルバム『BAD COMMUNICATION』が、ブレイクのきっかけとなる。このアルバムに収录された同名の曲が、タイアップの効果もあり有线で注目され始め、オリコンチャートに(10位以内には入らなかったものの、)163周ランクインするロングヒットを记录した。1990年リリースの3rdアルバム『BREAK THROUGH』が初登场3位となり、B'z初のオリコンTOP10にランクインする。同年リリースの4thシングル「BE THERE」がシングルチャート初登场7位となり、そして続いてリリースされた5thシングル「太阳のKomachi Angel」が初のオリコンチャート1位を记录し、ブレイクを果たした。 その势いそのままに、90年代はミリオンセラーを连発する。1991年リリースの8thシングル「LADY NAVIGATION」が初のミリオンセラーを记录する。1993年リリースの12thシングル「爱のままにわがままに 仆は君だけを伤つけない」は、202万枚とダブルミリオンを记录する。その后も、1995年リリースの18thシングル「LOVE PHANTOM」が180万枚の大ヒットを记录するなど、「LADY NAVIGATION」から20thシングル「Real Thing Shakes」まで、13作连続でミリオンセラーを连発する。1998年には、ベストアルバム『B'z The Best "Pleasure"』が500万枚、『B'z The Best "Treasure"』が400万枚と2作のベストアルバムが大ヒットを记录するなど、人気を不动のものとする。2000年にも、27thシングル「今夜月の见える丘に」が、シングル15作目のミリオンセラーを记录した。 ブレイク以降 ブレイク以降もユニット活动を継続し、2015年までにアーティストトータルセールス约8,216万枚等の日本记录を数多く打ち立てる。 また日本国内での活动を継続しながらも、日本国外での活动や日本以外のアーティストとの共演が顕著になっていく。初の日本以外でのライブとなった2001年の台北公演を皮切りに、香港公演や全米ライブツアー等も开催した。また、2007年にはロックンロール音楽界に贡献したアーティストを讃える「ハリウッドロックウォーク」に、日本アジア圏のミュージシャンとして、初の殿堂入りを果たした(后述)。 ユニット名 アクセントの位置 ユニット名である「ビーズ」は、世间的には抑扬をつけない平板な読み方(例えば「リール」「レール」に近い読み方)が主流であるが、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系列)でメンバーが语ったところによると、正しい読み方は先头にアクセントを置いたものであるとされる(例えば「プール」「シール」に近いアクセント。以降は正式な読み方を便宜上「ビィズ」と表记する)。また『NHKスペシャル』(NHK)においてB'zを特集した际、NHKは先头にアクセントを置いた読み方を采用している。これについてNHK侧は「ご本人たちもファンも关系者もみんな(「ビ」にアクセントを置いて)『ビィズ』とよんでいます」と回答した。 平板な発音の方が一般に定着した理由についてNHK放送文化研究所は「(NHKの)番组内での発音については、责任者が决めている」という前提を置いた上で、「ギター、ドラマ、映画、ディレクター。こういった言叶は、かつては头を高くした発音がされていたと思うのですが、今は平たく言うほうが主流ですね。日本语の习性として、言叶が出来て、驯染みが薄いときには头にアクセントを置く、そしてその言叶が口をついて出る回数が増えるにつれ、どんどん后ろに移动して、落ち着いていくというものがあります。「ビーズ」と平べったい発音になるのは、自然の流れなのでは」という见解を语っている。 なおメンバーは「自分达はビィズと呼んでますが、どちらでも呼びやすいように呼んで下さい。」と発言している。 ユニット名の由来 ユニット名の由来については、メンバーはインタビューなどで「深い意味はない」と前置きしているものの、以下の由来を语っている。 ユニット名の条件として「现代的な记号のようなものがいい」というものがあり、企业のロゴのように意匠化しやすい名称が求められていた。最初のユニット名の候补としては、英语のアルファベットの最初の文字と最后の文字を用いて、「A to Z」「AからZのすべてをカバーする」という意味を込めて『A'z(アズ)』が挙げられた。ところが、「A'z≒エイズ(AIDS)」と読まれる可能性があることに気付いたため、これを回避。代案として「"A"の次は"B"だろう」という理由で『B'z』とした。その后、「B」から始まる名前のバンドは、非常に力强いバンド(ビートルズ等)が多いことが分かり、また「『B'z』だと忆えやすそう」という意见もあり、现在の名前となった。 上记の由来は、主に2000年代以降にメンバーが语ったものである。しかしながら、それ以前は由来について触れている文献の内容やメンバーの発言には一贯性が无く、暧昧なものも多かった。そのことについて、松本は2012年のインタビューで「昔は适当に答えていた」と语っている。以下に、上记の由来以外のものについて记载する。 松本がパーソナリティを务めたTOKYO FM『BEAT ZONE』の中でゲスト出演の稲叶が「『蜂の群れ(Beeの复数形)』でB'z」との発言をした(1995年顷は17thシングル「love me, I love you」やLIVE-GYMで使うロゴマークに蜂の腹部を模したものを使用していた)。 1989年の会报で松本は、「终わりにZをつけるのが最初に决まって、スタッフと考えた结果『B'z』になった」と语っている。 「バンド名は现代的な记号のようなものがいい」というイメージの中で、最初に浮かんでいたのが「とにかく『Z』を使いたい」というということで、それに付随するスペルとして男性的なニュアンスのある『B』が良いと思い付いて、この2つの文字をジョイントして『B'z』になった。 「ギターのエース」と「ボーカルのエース」のジョイントということで『A』を使うと言う话になって、そこに松本の気に入っている『Z』を付けて『A'z』という案があったが、発音しにくいので最终的に『B'z』に落ち着いた。 2012年のインタビューで、松本は结成当时を振り返り「昔は『ビートルズのBと、レッドツェッペリンのz』って答えたこともある」と语っている。 2人组になった経纬 B'z结成当时、日本の音楽シーンが「バンドブーム」を迎えていた中、B'zは当时としては异色であった2人组のユニットという形式でデビューした。松本はこのことについて「セッションミュージシャンとして限界に来てて、グループをやるタイミングだと思って动き出しただけで、バンドブームとは关系のないところにいたから」と语っている。しかし松本は、当初ベースやドラム担当を含めた4人くらいのバンドを考えており、実际に何人かに当たってみることはしていたという。当时を振り返り松本は「最初のうちは(ドラムやベース担当といった)他のメンバーも探すつもりだったが、(稲叶と)2人でデモテープを作っているうちに「2人でもいい」と思うようになり、2人でいこうということになった」「バンドって4 - 5人いても、重要なものを饰るのは2人くらいでしょ? だったら2人がいいかなって思った。(中略)仆のギターと気に入ったボーカルさえあれば、后はサポートメンバーを入れればいいだけの话。稲叶と2人でやっていこうと思った。」と语っている。2人组ではあるがリーダーは松本が务めている。 メディアへの露出 毎年ライブツアーを主体とした活动を行っており、テレビへの露出は少ない。音楽番组の出演は多いが、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系列)、『COUNT DOWN TV』(TBS系列)などに出演する程度である。年末年始は『NHK红白歌合戦』などの大晦日正月の特番には一切出场しないため、年末最后のテレビ出演(仕事纳め)は『ミュージックステーションスーパーライブ』(テレビ朝日系列)となることが多い。また、NHKやwowowでドキュメンタリーの放送が放送されることもある。 近年になってはテレビ出演の机会は减少の倾向にあり、2007年の『ミュージックステーションスーパーライブ』にて「SUPER LOVE SONG」を披露したのを最后に、音楽番组での演奏披露は2011年3月まで行われておらず、テレビ出演自体も2009年に『ブザービート崖っぷちのヒーロー』(フジテレビ系列)の宣伝番组にコメントを寄せて以来出演していない状态が続いていた。その后、2011年4月1日放送の『ミュージックステーション3时间スペシャル』に3年4カ月ぶりに出演して以降、翌年の『ミュージックステーションスーパーライブ2012』に出演、デビュー25周年となる2013年には6月14日放送回のミュージックステーションで『B'zスペシャル』と题し4曲を披露、さらに翌年の2014年には互いのソロ作品でミュージックステーションに出演し、B'zとしても年末年始に数本のテレビ番组に出演するなど、以前ほどではないがメディア露出の机会が増えてきている。 また音楽以外の活动(バラエティ番组出演、CM出演、俳优活动など)には消极的な姿势を见せている。音楽以外の活动などについて松本は「才能のある人が多い时代だから、バンドをやっている人でも音楽以外のフィールドに出て行く人って多いでしょう?でも仆らはあくまでも音楽活动をメインにしていきたい」「音楽のフィールドを固めていくことが、バンドを长続きさせる秘诀だと思っている」と语っている。 ただし过去には、ラジオ番组のパーソナリティを务めたことがある。东海ラジオ『Come on JTB B'z WAVE-GYM』(両名)、『WAVE-GYM Vol.0』(稲叶)、TOKYO FM『BEAT ZONE』(松本)ではレギュラーを务め、単発ではニッポン放送『オールナイトニッポン』(1992年、1995年、2000年、2001年、2003年、2005年)と、多数のラジオ番组のパーソナリティを务めたことがある。また、デビュー23年目の2011年に、B'z初となるタイアップでのCM出演を果たした。 ファン ファンクラブ 「B'z Party」の加入者数は2008年时点で延べ人数で58万人を超える(休眠会员含む)。 一方で、ギタリストで音楽评论家のマーティフリードマンは、「B'zはあれだけ人気なのに、フォロワー(B'zのスタイルを模仿して音楽をする人)がいない」という点を指摘しており、その理由としては「(B'zは)テクニックがめちゃくちゃあるし、2人とも自分だけの独特なスタイルを确立しているから、マネしたくてもできないんだと思う」と推测している。 (更多)

Alias b'z
Extra b'z
Name b'z
别名 ビーズ
原始名称 B'z
名称 b'z
国籍 日本
地区 日本
成员
  • 松本孝弘
  • 稻叶浩志
  • 歌手详细介绍

    <info><id>11345</id><desc><![CDATA[B'Z乐队是由松本孝弘、稻叶浩志于1988年组成的二人男子摇滚乐队。]]></desc><basic></basic><group><member><item><key><![CDATA[中文名]]></key><value><![CDATA[松本孝弘]]></value></item><item><key><![CDATA[别名]]></key><value><![CDATA[TAK Matsumoto]]></value></item><item><key><![CDATA[国籍]]></key><value><![CDATA[日本]]></value></item><item><key><![CDATA[民族]]></key><value><![CDATA[和族]]></value></item><item><key><![CDATA[生日]]></key><value><![CDATA[1961年3月27日]]></value></item><item><key><![CDATA[出生地]]></key><value><![CDATA[大阪府丰中市]]></value></item><item><key><![CDATA[职业]]></key><value><![CDATA[吉他、作曲、编曲、音乐制作人]]></value></item></member><member><item><key><![CDATA[中文名]]></key><value><![CDATA[稻叶浩志]]></value></item><item><key><![CDATA[别名]]></key><value><![CDATA[KOSHI Inaba]]></value></item><item><key><![CDATA[国籍]]></key><value><![CDATA[日本]]></value></item><item><key><![CDATA[民族]]></key><value><![CDATA[和族]]></value></item><item><key><![CDATA[生日]]></key><value><![CDATA[1964年9月23日]]></value></item><item><key><![CDATA[出生地]]></key><value><![CDATA[冈山县津山市]]></value></item><item><key><![CDATA[职业]]></key><value><![CDATA[主音、作词、编曲]]></value></item><item><key><![CDATA[毕业院校]]></key><value><![CDATA[横滨国立大学教育学部数学科]]></value></item></member></group><other><item><key><![CDATA[从艺历程]]></key><value><![CDATA[成员1:松本孝弘原为TMN合唱团及滨田麻里的吉他手,一直有心想自组乐团,由于自认外型及音色都不算太突出,所以一直在找寻一个音色特殊,外型有人缘的拍挡来帮他一起实现乐团的梦,后来听了稻叶浩志的试唱带,一听就相中了稻叶的声音。稻叶浩志毕业于国立横滨大学的教育学部,大学毕业后担任数学老师,虽然对音乐怀抱着梦想,但是既然已经为人师表,也就不再像以前对音乐那么积极了。没想到一卷大学时代录的,音质很差的试唱带,被松本孝弘给相中而改变了他的命运。当松本打电话给他时,他简直不敢相信自己的耳朵。松本与稻叶终于见面了,那天稻叶配合着松本的吉他声唱了两首披头士的歌曲,没想到一唱完,松本的吉他就坏了,虽然似乎有点不吉利,但是松本对稻叶的印象极好,不但歌声嘹亮,外型也不错,所以几天之后还是通知稻叶来录音。 \n   B'z团名的由来:\n   在接受访问时问到关于团名的来历时,回答经常是不同的。所以直到现在团名的正式来源仍处于不明状态。两人关于团名来历的回答,例如“是Beatles与Led Zeppelin的首字母合并而成”之类半开玩笑的回答往往居多。\n   以下是杂志等采访中,关于团名的来历,两人的一些主要的回答。\n   2005年3月26日播出的『仆らの音楽』出演时,稻叶说“本来想把从A到Z的所有字母全部包括,所以一开始想用『A'z』,但是发音太过于难听,所以就从A的下一个字母B开始,变成了现在的『B'z』”\n   2007年度的会报中所做的采访里,也有过“刚开始时方案『A'z(アズ)』给人的感觉不太好,所以就从A的次一个字母B开始,并且以B开头的乐队往往都很具名气实力,所以最后选定了『B'z』”这种讲法。\n   松本在TOKYO FM的节目『BEAT ZONE』中,有过“按照蜜蜂(Bee)的复数形式发音,所以叫做B'z”的讲法,并且确实在1995年的单曲「love me, I love you」以及LIVE-GYM巡回演出中,有使用过蜜蜂腹部形状的log。\n   在早期的会报中,松本皆有过“后一个字母用z是一开始就决定的,在与工作人员一起协商过之后,最后决定用B'z”的讲法。 \n   一九八八年二月,B'z推出了第一张专辑「B'z」,普通歌手若推出专辑,一定会立刻展开全国演唱会或小型的现场演唱表演,以促销新专辑。但是B'z直到八九年五月推出第二张专辑「OFF THE LOCK」之前,一直都没有举行这类的活动。对于这一点,他们的解释是,他们的第一张专辑只有九首曲子,还不足以开演唱会,而他们又不想唱别人的曲子,所以一直没有开演唱会。他们的第二张专辑的制作过程也费时颇久,普通的专辑从开始企画到录音完成大约花四百小时的工作时间,但是他们的第二张专辑却花费了一千小时以上的时间。B'z的歌都是由松本孝弘作曲,稻叶浩志作词、松本是作曲的老手了,稻叶在参加B'z之前,完全没有作过词,不过松本认为稻叶的词很配合他的曲。发表了第二张专辑之后,B'z开始在名古屋、大阪、东京举行演唱会,正式面对面地接触属于他们自己的歌迷。九O年六月,B'z发窗体曲「大阳的KOMACHI ANGEL」、一举登上排行榜第一名,成为当时全日本最流行的乐曲,B'z至此尝到了超级巨星的滋味,真正打响了知名度。同年十一月发行的专辑「RISKY」销售量突破一百万张、B'z在全日本各地五十二个表演场地举行的巡回演唱会的入场券也立刻卖完,此刻的B'z真是人气大爆发。\n   B'z的气势自「太阳的KOMACHI ANGEL」开始,一发不可收,连续五张单曲都获得了排行榜冠军,或许对一个偶像歌手来说,单曲连续登上排行榜冠军并非前无古人,后无来者之成绩,但是B'z是一个自我创作的乐团,每一张单曲或专辑都付出了比别人多好几倍的努力,歌迷肯定他们的也不只是他们的歌声、形象,还有他们作曲,作词的才华。B'z曾于一九八九年十月推出过一张名为「BAD COMMUNICATION」的迷你专辑,以及为了配合日本各地的DISCO播放的十二吋单曲,但是这可是非卖品,因此现在成为一些有收集唱片癖的狂热者之间的热门唱片。B'z也和一般的偶像型歌手一样,每逢宣传时期都忙得不可开交,走到那里都要向人鞠躬打招呼,因此一天下来,腰都变弯了。 \n   B'z以前在东海广播电台有一个固定的广播节目「B'z WAVE JIM」,当初是松本和稻叶两人一起主持的,但是最后演变成稻叶一个人唱独角戏了。其实稻叶刚出道时非常沉默,和松本一起上广播节目接受访问时,几乎都不说话,只是一个劲儿的猛点头,因此被称作是「日本最会点头的人」。没想到过些日子适应后,话说得很流利,一个人担当大任主持起节目来。B'z出道四年,出了八张专辑,九张单曲都非常受欢迎,三月底,松本将推出首张个人唱片,他希望歌迷也能和支持「B'z」一样支持他。\n   成员2:「B'z」的「IN THE LIFE」全国巡回演唱会终于在今年四月结束了。「IN THE LIFE」是「B'z」迄今为止办过最长的一次演唱会,他们一共演唱了六十六场。稻叶:「直接面对观众可以使误解少一些。」歌迷与大众传播媒体对他们的期待的确带给「B'z」不少的压力。在「B'z」还没有成军以前,担任滨田麻理,TM网络吉他伴奏的松本孝弘,他的吉他弹奏技巧早已在圈内享有盛名,因此当他表示想找一个搭档自己出唱片时,大家都对这位「灰王子」的期待非常大。因此现在稻叶浩志才会觉得:「直接面对观众会使误会少一些。」\n   「B'z」成军时,稻叶浩志二十三岁,他毕业于横滨国立大学的教育学部、学数学的他,大学毕业之后就理所当然的当了数学老师。但是他的感觉却是:「老师办公室里的气氛就和普通公司一样....甚至更严肃、阴湿。」稻叶浩志在大学时代曾经参加过一个乐团,当松本孝弘正积极寻找「另一半」时,正好听到了稻叶浩志的录音带。松本孝弘非常中意稻叶浩志的声音,于是有一天就把稻叶浩志约了出来,亲耳听听他的声音,当时伴奏的乐器就只有松本孝弘的那把吉他,没想到松本孝弘弹着弹着,吉他的弦忽然断了,这是从来没有发生过的事情。但是松本孝弘心中已决定稻叶浩志是他的「另一半」。不过当时稻叶却以为自己没希望了。几天之后,松本带着稻叶进录音间,他们工作的分配原则是:松本弹吉他兼作曲、企划、稻叶主唱兼作词。松本希望所有制作工作都由他们两人包办。刚出道时,非常沉默的稻叶浩志现在已渐渐打开了话匣子。 \n   「B'z」的现场演唱活动是从第二张专辑「OFF THE LOCK」开始的,这时距他们出道已有八个月的时间。由于稻叶本来的现场演唱经验并不丰富,因此在这一段期间,他一直努力要追上松本。几个月前,松本孝弘才推出了一张他自己的个人专辑「THOUSAND WAVE」。在这张专辑中的配乐,全部出自他手上的那把吉他,因此可知松本的吉他造诣实在相当高。松本:“我十八岁的时候曾经在乐器店打过工,当时想:‘如果能就这样做下去也很好。’但完全没有想到会有这一天。现在的年轻人打工的方式五花八门,很容易就可以赚到钱,但却讨厌工作只想玩,也许这种生活方式也不坏,但是我今天能够以音乐为生是我最大的快乐。”]]></value></item><item><key><![CDATA[荣誉记录]]></key><value><![CDATA[1991年 - 1993、1995、1996年 (金唱片大奖最佳艺人奖)\n   1992年 - 1996年 (金唱片大奖最佳单曲奖) \n   1992、1994、1996年 (金唱片大奖music video奖)\n   2003、2005年 (金唱片大奖年度music video大奖)\n   1996年 (金唱片大奖Grand Prix专辑奖)『LOOSE』\n   1998年 (金唱片大奖年度摇滚专辑)『SURVIVE』\n   1999年 (金唱片大奖年度艺人、年度摇滚专辑)『B'z The Best "Pleasure"』、『B'z The Best "Treasure"』\n   1999年 (世界音乐award(大奖),最佳亚洲艺人)\n   2000年 (年度摇滚专辑)『Brotherhood』\n   2001年 (年度摇滚专辑)『ELEVEN』、『B'z The "Mixture"』\n   2003年 (年度摇滚/流行专辑) 『GREEN』\n   2004年 (年度摇滚/流行专辑) 『BIG MACHINE』\n   2006年 (年度摇滚/流行专辑) 『THE CIRCLE』、『B'z The Best "Pleasure II"』\n 2007年美国时间11月19日正午(日本时间20日5点),B’z成为首位登上美国摇滚殿堂『Hollywood Rock Walk』的亚洲歌手。\nB'z的吉他手松本孝弘获第53届格莱美奖最佳流行乐器演奏专辑  这是日本在格莱美所获得第一个流行乐奖。]]></value></item></other></info>

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