<info><id>117349</id><desc><![CDATA[小档案\n\nギターのSHIGE(池田繁久)を中心にBLAZEが结成されたのは75年のこと。\n\n\n小简介\n\n当初からヴォーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムスという编成で、东京では渋谷のライヴハウス屋根里などを中心に精力的なライヴ活动を展开、当时は数少なかったであろう(70年代后半にデビューした主なハードロックバンドといえばBOW WOWや、强いて挙げれば野獣やCONDITION GREENといったところだろうか)本格的なハードロックアクトということで、アンダーグラウンドながら大きな注目を集めていたようだ。そうしたバンドたちの中にあったBLAZEは、安易にレコードレーベルとの契约を交わすことなくあくまでもライヴ活动をメインに据えていた。\n\n やがて80年代に入り、カルメンマキ&OZや、人见元基がヴォーカリストを务めていたNOIZなどでの活动でも知られるドラマーのSAM(冈本サミュエル)が、さらに83年にはセッションミュージシャンとして活动していたキーボードのNOBU(増田隆宣)が加入している。彼らが加わった时期がBLAZEにとっては最强のラインナップだったようだ。しかし、充実したバンド活动を行っていたものの、结果的に87年にBLAZEは活动休止、SHIGE、SAM、NOBUはセッションミュージシャンとしての活动にシフトしていくことになる。とりわけNOBUはB'zのライヴメンバーとして长く活动しているのはよく知られるところだろう。 \n\n\n大事件\n\n【19751987】\nBLAZEはSHIGE(池田繁久 G)を中心に1975年に结成される。本格的なバンドとしては数少ない、ギターとキーボードのアンサンブルを重视した、いわゆる「ディープパープル」スタイルのハードロックバンドである。その高度かつソリッドな演奏は、その时代を知る人の 间では、21世纪に入った现在でも语り草となっている。その后10余年、BLAZEは几多のメンバーチェンジを経ながら、都内有名ライブハウスにて精力的にライブ活动を行なう。1980年にSAM(冈本サミュエルDr) 、1983年にNOBU(増田隆宣Key) が加入、 现メンバー编成の母体が出来上がる。しかし1987年、さまざまな理由から、BLAZEは无期限活动休止となり、永年の眠りにつく。\n\n\n【1995】\nそして、结成から何と20年を経た1995年、当时热烈な信奉者であったJACK(大石征裕 B)が、ひょんなきっかけで新たにベーシストとして名乗りを上げ、8年ぶりにスタジオでのセッションが再开される。ドラマー候补、ボーカリスト候补が次々にスタジオ入りし、 オーディションを兼ねながらも、热いジャムセッションが几度となく行なわれた。セッションを重ねるうち、当时成し得なかったレコード(CD)リリースのプランも持ち上がり、デモテープのレコーディングも始まる。\n\n\n【19961999】\nしかしながら、BLAZEに迎えるボーカルがなかなか决まらず、各メンバーの忙しさも相まって、レコーディングは暗礁に乗り上げる。仮ボーカルでのレコーディング、アレンジ作业を进めながら、メンバーでのミーティングが続く。\n\n【2000】\n2000年夏、もうこれ以上は待てない、とばかりに、旧友であるSAMを改めてドラマーとして迎え、仮ボーカルのままでの正式なレコーディングを始める。10曲分のリズムトラックが完成した。\n\n\n\n【20012002】\n翌年の2001年末、IKE(生沢佑一 Vo)がボーカリストに决定。2002年半ばにかけて、急ピッチでボーカル/コーラストラックをレコーディング。2002年后半は、主にギター&キーボードのダビングに费やした。そして2003年に入り、绵密なトラックダウン作业が始まる。\n\n\n【2004】\n2003年、结成から29年目にして、ついにBLAZEのファーストアルバム「DANGER ZONE」は、CDとなって日の目を见ようとしている。インストゥルメンタル1曲を除く作品すべてが、197580年にかけて作られた、まさに70'sそのままの楽曲。21世纪の今、こんなバンドが他に存在するだろうか? 70's Hard Rock の纯粋な継承者といっても决して过言ではない。「古い」「ダサい」「オヤジ」「何を今どき…」大いに结构。「开き直り」そうかも知れない。しかし、これだけは言える。「BLAZEにしかできない。」]]></desc><basic></basic><other></other></info>